大楽寺の開基は寛仁三年(一〇一九)と伝えられ 、その証拠に境内からは当寺の石碑が多数出土しています。 しかし行基(六六八~七四九年)研究家によると、写真で残る焼失した本尊が場所と大きさからして 近隣寺院の本尊(和銅三年・七一〇年・五尺五寸)と同時期のものだと考えられるため、 一三〇〇年の歴史が確実とのことです。 この頃は極楽寺と呼ばれ寺運勢大、七堂伽藍の整った壮麗な道場であり、 現在地より二〇〇メートルほど南から門の礎石が出土しています。 また戦国時代のころには、小田原北条氏の軍勢が闇夜に新田氏を追って 寺に火を放ったことが伝えられています。 江戸時代には徳川二代将軍秀忠が、三大将軍家光のために経文一巻と朱印を奉納し、 それと同時に使用を認めた葵の紋が現在でも随所にご覧いただけます。 その後、昭和二十年の大空襲では本堂・書院・山門・庫裏等が焼失するものの、 昭和三十年には木造本堂が建立され、更に昭和四十八年に現本堂が再建、 昭和六十三年には楼門ならびに鐘楼が、平成六年には蒲田不動尊が大楽寺境内に建立されました。 本堂の御本尊は阿弥陀三尊(玉川八十八ヵ所霊場六十七番)で四方に四天王 、 不動堂のお不動様は二七〇センチの坐像で、五大明王の中心として安置されています。 さらに薬師如来(室町時代)・阿弥陀如来(平安時代)・千手観音(東海観音三十三ヶ所霊場十二番)・十二支守り本尊・聖天像 ・道塚銭洗い弁才天(八臂弁財天・琵琶弁天)・修行大師銅像・ いぼ地蔵・延命子育地蔵・六地蔵・庚申塔・法界萬霊供養塔 ・第二次世界大戦々歿者尊霊供養塔・第二次世界大戦道塚殉難者尊霊供養塔・大般若経六百巻などがあります。 近年は元旦護摩・節分・両彼岸・施餓鬼・盆供養・除夜の鐘のほかに、 お不動様の縁日(毎月二十八日)には護摩・詠歌・写経を行っています。 特に両彼岸と施餓鬼は屋台の出店もあり、 日本ボーイスカウト東京連盟大田第十一団の協力のもと、檀信徒がたくさん集う「大きく楽しい寺」として賑わっています。 宗派 真言宗智山派の東京南部教区に属し、総本山は智積院。 成田山新勝寺・川崎大師平間寺・高尾山薬王院の関東三大本山や 、別格本山の高幡不動金剛寺が有名です。 昭和48年に建立の現本堂 焼けてしまった戦前本堂(行基作本尊)と長野市松代町に現存の戦後本堂 御本尊の阿弥陀三尊(玉川八十八ヵ所霊場六十七番)、千手観音(東海観音三十三ヶ所霊場十二番)と十二支守り本尊 平成6年に建立の蒲田不動尊と成田山新勝寺および高幡不動より勧請されたお不動様は2.7mの坐像。お賽銭を入れると法話が流れます 昭和63年に建立の楼門と鐘楼 道塚パワースポット銭洗弁財天 とイボ地蔵 (拾った石ででイボをこすり、地蔵の前に置いてください。治ったら豆腐をお供えください。石の使い回しはしないでください) 中庭の池を眺めながら、イス席で会食が出来ます |